“それ”は在る

「“それ”は在る」(ヘルメス・J・シャンブ著)という本を読んでいます。
悟りについて書かれた本です。
それは在る

まだ読了してませんが、心に響くことが多く、いくつか心に残ったことがあります。
(以下、イタリック体と引用記号内は書籍からの引用文です。)

すべては一なるものの「変化」

スピリチュアルの「ワンネス」「すべてはひとつ」という概念。
これに「変化」という言葉を使い、「全ては一なるものの変化」と表現しています。あらゆる存在は、一なるものから、異なった形態・機能を伴って変化している状態であると。

今朝も、森を散歩しながら、そのことを考えていました。
木々も私にまといつく虫たちもみな、生命の異なった形態で、私も含め、一なるものの変化。
「一なるものの変化」と表現されると、わかっていたつもりの「すべてはひとつ」「私も他者もない」という感覚が、すとんと腑に落ちました。

思考や想念、知識も単なる幻想

「すべては幻想」という概念についても、一歩踏み込んで語っています。
思考や想念を〈私〉と同一視しがちですが、これらもまた単なる幻想に過ぎず「〈真我〉を曇らす霧のようなもの」だと。

雲が次々に流れてやってくるように
雲が決して活動を止めないように、
思考や想念という雲は絶えず流れているのである。
青空を流れる雲に捕らわれてはいけない。
それを自分だと勘違いしてはいけない。
思考が静まり、沈黙が訪れる。
それは空だ。
〈私〉はその静寂、〈在る〉を感じるかもしれない。

森の散歩中、いつも一休みする東屋があります。
今朝もそこにに座り、木々が風にたわみ、葉が擦れる音を聞いていました。
ふと思考が止む瞬間があって、こんなときに、ただ〈在る〉になれるのかな、と思いました。

確かめたかったのですが、虫よけネットに蚊が侵入してきて、今朝は、ただ〈在る〉どころではなくなりました(笑)

森

目覚めた後、薪を割り、水を汲む

目覚めた人も、空腹や痛みを感じ、感情を表現し、働き、生活をする。
普通の人と変わらないように見えるかも知れないし、とても変わっているように見えるかも知れない。
しかし、目覚めた人は、知覚可能なものはどれも自分自身ではないことを完全に認識し、ただ自身の完全さだけを観ている。

以前、ブログで知り合いの意識レベルを測定したときに、スピリチュアル的な言動を見聞きしたことのない、普通の男性会社員で、数値がとても高い人たちがいたことを書きました。ひとりは890という「悟り」のレベルに達する数値です。

この世間には、普通に生活していながら、最も進化している者たちがたくさんいる。

禅の言葉、『目覚める前、薪を割り、水を汲む。目覚めた後、薪を割り、水を汲む』 のように。

本当にそうだな、と思いました。
目覚めたからといって、外見からはわからない。超人的に見えるわけではなく、有名でもなく、人を集めるわけでもない。そんな普通に見える覚醒者は、意外と多いのかもしれません。

出会うべくして出会った本のように思えます。これから読み進めるのも楽しみです。

個人的には、「悟り」に近づくなら、Kanaiプレートアートは役立つんじゃないかな、と感じています。よかったら、体験会でKanaiプレートアートをお試しください。随時開催しています。

関連記事

Kanaiプレートアート

ブロック解除

占いと宇宙

コメント

この記事へのコメントはありません。

最近の記事 おすすめ記事
  1. Kanaiプレートアート×OSHO禅タロット

  2. そうならなくてもいい

  3. 直感は羅針盤か

  1. ブロック解除のしくみ

  2. そうならなくてもいい

  3. ブロック解除のやり方

カテゴリー

アーカイブ

検索

TOP
TOP